平原草々の日記

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ビゼーの「アルルの女」

ビゼーの「アルルの女」は、もともと劇の付随音楽として作られたものですが、今では管弦楽の2つの組曲として演奏されることがほとんどだと思います。

原作は、フランスの作家ドーデーの「風車小屋だより」という短編集の中の一篇です。

短いですが、とても悲しいお話です。

この作品の演奏は、ケーゲル/ドレスデンフィルのものが、とてつもなく素晴らしいものだと思っています。

そのため、記事の以下の部分は、ケーゲル/ドレスデンフィルの演奏した「アルルの女組曲の話になります。

 

学生の頃、許光俊さんの書かれる音楽評論をよく読んでいて、繰り返し名前があげられ、大概「狂気」とか「自殺」といった言葉を添えて紹介される、ヘルベルト・ケーゲルという指揮者に興味を持ちました。

特に、その晩年の録音である、アルビノーニの「アダージョ」や、この「アルルの女」、それに1989年の東京でのライヴ演奏などが、ものすごい演奏であるということで良く取り上げられていたのですが、その当時は、いずれも入手が難しく、実際に聴くことができませんでした。

その後、アルビノーニの「アダージョ」は、ベートーヴェン交響曲全集を含む、カプリチオレーベルのBOXセットで入手できるようになり、早速聴いたところ、本当に、どこか静かに自分を追い詰めていくような鬼気迫る演奏であり、その仄青白い演奏に衝撃を受けました。

そしてこの「アルルの女」も聴きたいと思っていましたが、こちらはなかなか入手できませんでした。

それが、一時ドイツに短期間住むようになって、一人でドイツ国内を回っている時に、ベルリンのCDショップでこの演奏のCDを入手しました。

早速下宿に帰って聴いたところ、これはアルビノーニの「アダージョ」の、さらに先を行くような彼岸の世界の音楽のように感じられ、その切ない美しさに唖然としました。

ドイツで聴いたこともあり、私は、この「アルルの女」を聴くと、南フランスの風景というよりも、ケーゲルの面影を偲んで訪れたドレスデンをはじめとする旧東ドイツの風景や空気感を思い出します。

アルルの女組曲は2つあって、それぞれ4曲ずつで構成されています。

ビゼーの卓越した管弦楽法で悲劇の物語を美しく表現した音楽であり、いずれの曲も、そんなに長くはないですが、聴くと、1曲1曲とても充実感があります。

特に、よく言及される第1組曲の3曲目「アダージェット」は、本当に死に臨む際の心象風景のような気がします。

明るさに満ちていて、すべては重さを感じさせず、淡い薄明かりの中で出来事が繰り広げられてゆくのですが、奥には何かが、ギリギリのところで踏みとどまっているような、回想、慰撫、激情、諦念といったものが混濁し、不思議な緊張感に満ちているような、そんな演奏に感じられます。

夏目漱石が「永日小品」の中の「猫の墓」で、死にゆく飼い猫の姿を描写し「いかにも切り詰めたうずくまり方」と書いていますが、まさに、そのような姿を彷彿とさせるような演奏だと思います(これは、古井由吉さんの文章からヒントを得ました)。

その他の曲も、どれも虚ろな美しさに満ちているように思え、この組曲を聴くだけで、大交響曲を聴き終えたような疲労感に包まれます。

気軽に聴くような演奏ではないように思いますが、一度聴き出すと、最後まで聴き通さないとすまないような、聴き手の心を鷲掴みにし、その心を揺さぶるような力のある一枚だと思います。