平原草々の日記

思ったこと、音楽、本の感想など

エヴァンゲリオンと私について

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観ました。

私がエヴァンゲリオンに出会ったのは、テレビシリーズの再放送を見た時でした。
その当時から、すごい人気になっているのは知っていましたが、私は、リアルタイムでは見る機会がなく、それでも、東浩紀さんの論考などを読んで、なんとなく気になる存在にはなっていました。

それがたまたま、再放送でやっているのを見つけて、しかし気づくのが遅かったので、見たのが第17話の途中からだったのですが、学校の屋上でのシーン、ケンスケとシンジが会話をしてるシーンから見始めて、このワンシーンだけで、これはすごい作品だとすぐにわかり、さらに後半の展開を見て、強い衝撃を受けました。

それからはきちんと見ていきました。ちょうど物語が佳境に入るところなので、どの回も30分アニメとは思えない濃密な展開と重いストーリーで、本当に打ちのめされるような思いで見ていきました。

最終2話については、事前にその噂は耳にしていたので、そこまでのショックはありませんでしたが、やはり私の中では、カヲルとのエピソードである第24話で、テレビシリーズのエヴァは終わったものだと思ったものです。

その後、第1話から見返しましたが、私が見始めた第17話以降の濃い要素はまだ出てこないので、普通に面白いロボットアニメというぐらいの感想しか持たず、私の中でのエヴァンゲリオンとは、テレビシリーズの第17話から第24話までで形成されていると思っていました。

そして、シナリオ集の全3巻もあつめて、これも何回も読み返して、その度に、文字だけでもすごいなと感嘆しながら読んでいました。

その後の劇場版での展開については、一応すべて観ましたが、テレビシリーズで受けた衝撃を上まわるものは得られず、私の中のエヴァは、テレビシリーズの後半部分で終わったままの気分でいました。


そして、最終作と言われるシン・エヴァンゲリオン劇場版を観ました。

私の中でのエヴァに、どのような結末が来るのか、楽しみ半分怖いもの見たさ半分で観ました。

第一印象は、やはり、あの時の衝撃を超えるものは得られなかったなというものでした。

最初に観てから25年以上も経ち、私自身も年老いた中で、おそらく思春期というものを正面に捉えた作品の結末は、どのような展開を持ってきても、もはやあの時の衝撃を上まわるものにはならないだろうなという気持ちを一番大きく感じました。

もちろん、作品の完成度はとても高く、最後まで面白く観ることができ、その結末もこのシリーズを追いかけてきたものにとっては納得のいくものだったと思いましたが、私の中の青春の一コマ、ひとつの沁みのようなものになっていたエヴァの衝撃とは、もはや同じ色に染まることはないのだなという悲しい気持ちも片方では感じていました。

おっさんの感傷と言えばそれまでですが、心のどこかで、たとえ少しでも、あの時の衝撃の再来を願っていた中で、やはりそれは、もはや二度と得られないものかなとも思いました。

しかし、長きにわたって人気を保っており、私の子供もハマっているという世代を超えたエヴァ人気はとてつもないものだと思いますし、どの作品も完成度の高さはすばらしく、エンターテイメントとしてもとても優れたものだと思います。

当たり前の話ではありますが、おそらく、見る人一人一人の出会い方、そのタイミングで、その作品の捉え方、愛情の持ち方は変わるもので、私にとっては、第17話~第24話までのエヴァが、私にとってのエヴァであり、そこにこの作品の衝撃、愛着のすべてがそそぎこまれていると感じています。

この記事を書くにあたって、久しぶりにシナリオ集を引っ張りだしてきて、文字を追いながら、アニメの映像を思い浮かべ、懐かしくテレビ版のエヴァを再構成して楽しんでみました。