平原草々の日記

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ブラームスの「交響曲第3番」

ブラームスの「交響曲第3番 ヘ長調 作品90」は、恋する心のような曲だと思います。

実際に、この曲を作るにあたって若い女性歌手との恋愛感情が反映されていると言われることもありますが、聴いていると、比較的ブラームスの感情が表に出ている作品のように感じます。

第1楽章の展開部の激しさや、クライマックスの高揚した盛り上がりはどこか感情の高まりを感じさせます。

第2楽章の田園に一人さまよう風情も、恋する男の彷徨が思われ、ベルリオーズ幻想交響曲の第3楽章みたいな雰囲気を思い浮かべたりします。

有名な第3楽章は、本当に映画音楽的とも言えるぐらいメロウな雰囲気に支配された美しい楽章だと思います。

第4楽章の、まるで雄たけびのような爆発力は、恋するものの狂態のような気配すら感じさせます。

しかし、そこはブラームス(?)、どの楽章も、どんなに感情が表に出ていようとも、最後は静かに終わるように、恋に身をやつそうとも、最終的には穏やかな孤独、諦念の世界に戻っていくような、そんな雰囲気も感じさせます。

以前、ブラームス交響曲では第4番が一番好きと書きましたが、今でも作品の完成度という観点から見れば、フォルムがしっかりとしている4番の方が上のように思いますが、最近は、心に寄り添うという点について、この曲の方が近い存在になっているように思います。

演奏は、スクロヴァチェフスキ/ハレ管弦楽団のものがとても素晴らしいと思っています。透明感あふれるオーケストラですが、感情の表出にも不足していません。またブラームス交響曲は管楽器の技量が試される場面が多いと思っていますが、どの楽器も素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれます。

その対極とも言えるのが、フルトヴェングラーベルリンフィルの1949年12月18日の録音です。録音も古く、観客の咳が多いのも気になりますが、凄まじい緩急と情念で、この曲の感情の高まり、あるいは狂気ともいえる側面を見事に描き出していると思います。

それに続くのが、私の中ではヴァント/北ドイツ放送響のスタジオ録音のもの、ケルテス/ウィーンフィルのものです。

他には、セル/クリーヴランド管のものも素晴らしいと思っていますが、第1楽章の提示部の反復がないのが気になります。

学生時代に、第4番にハマってCDを集めていく中で、多くはこの第3番とカップリングになっているものでした。なので、私にとって、この第3番も青春の1曲みたいなものでした。あるいは、第3番と第4番とセットで、青春の一枚のように感じていたのかもしれません。今思えば、あるいは、第4番以上にこちらの曲の方が「青春」に近かったのかもしれません。

そのためか、年を取ってからは、第4番はほとんど聴き返さなくなりましたが、この第3番は今でも聴き返します。その懐かしさから、私の中の失われた青春を追憶するかのように・・・。

 

追記

この記事を書くために、いろいろな演奏を聴いてみたのですが、フルトヴェングラーの演奏が放つ凄まじい力は一種特別なものだと感じ入りました。

最近は、古い録音のものを聴くことがほとんどなかったのですが、これを機に、昔は熱心に集めたりしていたのですが、最近はほとんど聴かなくなった、古い時代の録音をひっぱりだしていろいろと聴いてみたくなりました。